松平 頼筠(まつだいら よりかた)は、江戸時代後期の大名。常陸国宍戸藩7代藩主。官位は従五位下・大炊頭、主税頭。

生涯

宍戸藩の本家である常陸水戸藩7代藩主・徳川治紀の四男。母は中山慶次郎の娘・八重崎。幼名は詮之允。

文化4年(1807年)、先代藩主の松平頼敬(治紀の従弟にあたる)の死去により、その養嗣子となって跡を継いだ。天保10年(1839年)5月17日に死去し、跡を養嗣子の頼位(頼敬の弟)が継いだ(ただし、前日の5月16日に隠居して家督を譲っていたとも伝わる)。

法号は又玄院殿道誉上徳先天大居士。墓所は茨城県常陸太田市瑞竜町の瑞龍山。

系譜

  • 正室:金 - 松平頼敬養女、松平頼救娘
  • 養子
    • 男子:頼位 - 松平頼救四男



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