ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティ(Giovanni Battista Viotti, 1755年5月12日 - 1824年3月3日)は、イタリアのヴァイオリン奏者、作曲家。

略歴

フォンタネット・ポー生まれ。ヴィオッティは、ガエターノ・プニャーニの下で学んだ。イタリア北西部に位置する都市トリノの宮廷に仕えたが、独奏者として巡回公演も行った。パリへ訪れる前は、師プニャーニと共に公演を行った。パリでヴィオッティは名声を獲得し、1788年に歌劇場「Théâtre de Monsieur」を設立するまで、暫くヴェルサイユで働き、マリー・アントワネットに仕えた。フランス革命の勃発によりオペラを創作不可能になった為、ヴィオッティはロンドンに赴く。ロンドンではハイドンとの親交があった。その後パリへ戻るも、ワイン事業を営む為に演奏活動を断念。結局事業は失敗に終わってしまい、1819年から1821年にかけてパリ・オペラ座の音楽監督を務めた。ロンドンで死去。

影響

ヴァイオリン奏者としてのヴィオッティの影響力は大きい。ピエール・ロードやピエール・バイヨを教え、ルドルフ・クロイツェル(彼らは後に著名な教師となった)に大きな影響を与えた実績から、ヴィオッティは19世紀のフランス・ヴァイオリン楽派の創設の父と呼ばれる。また、弓の製作者フランソワ・トゥルテ(トゥールト)に助言を与え、現在の一般的な弓の形を作り上げた。後にニコロ・パガニーニに影響を与えたアウグスト・ドゥラノフスキ(August Duranowski)も教えている。

主な作品

ヴィオッティの最も重要な作品は、かのベートーヴェンに影響を与えたとされる、29曲から成るヴァイオリン協奏曲だろう。第22番イ短調第23番ト長調などが有名であるが、とりわけ第22番イ短調(1792)は、上級の学生演奏家を中心に、今日に於いても演奏頻度が極めて高い。ヴィオッティの作品の多くはヴァイオリンが顕著に活躍し、21曲から成る弦楽四重奏曲ではハイドンの開拓した「均衡の取れた構成」が大きく無視され、第1ヴァイオリンが独奏の役目を果たしている。室内楽曲に於いて彼は、2台のヴァイオリンとバスなど、より伝統的な組み合わせを用いている。他に2曲の協奏交響曲、10曲のピアノ協奏曲、ソナタや歌曲等を作曲。

  • 協奏曲
    • ヴァイオリン協奏曲第3番イ長調
    • ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調
    • ヴァイオリン協奏曲第9番(協奏交響曲変ホ長調に改編)
    • ヴァイオリン協奏曲第16番ホ短調
    • ヴァイオリン協奏曲第17番ニ短調
    • ヴァイオリン協奏曲第19番(シュタイベルト編曲版としてピアノ協奏曲ト短調)
    • ヴァイオリン協奏曲第20番ニ長調
    • ヴァイオリン協奏曲第22番イ短調
    • ヴァイオリン協奏曲第23番ト長調
    • ヴァイオリン協奏曲第24番ロ短調
    • 2つのフルートのための協奏曲イ長調
  • 室内楽曲
    • 弦楽四重奏曲変ロ長調
    • 弦楽四重奏曲ト長調
    • フルート四重奏曲ハ短調

文献

  • 『ヴィオッティ―近代ヴァイオリン奏法の父』 慧文社 2009年 ISBN 9784863300316

外部リンク

  • ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティの楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト

脚注



Amazon ヴィオッティからメンデルスゾーンへ ヴァイオリン・ヴィルトゥオーゾの世界 Vol.1 島根恵, 碓井俊樹, ジョヴァンニ

ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティ ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ長調 G. 45 第2楽章 ロマンス 10792669

El Club del attention氏による、ジョヴァンニ・バッティスタ・ロンバルディ(18231880)の彫刻の紹介

ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティ ヴァイオリン協奏曲第13番 イ長調 G. 65 183610 NML ナクソス

ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティ ヴァイオリン協奏曲第1番 ハ長調 G. 32 1299433 NML ナクソス