パトリック・ジョセフ・ギャリティPatrick Joseph Garrity 1976年8月23日 - )は、アメリカ合衆国・ネバダ州ラスベガス出身の元バスケットボール選手。NBAのオーランド・マジックなどで活躍し、現在はデトロイト・ピストンズのアシスタントGMを務めている。。

来歴

コロラド州のルイス・パーマー高校で活躍し、州のチャンピオンに輝き、同校の永久欠番も授与されるなど注目されたギャリティは、大学進学の際に多くの有力校からの誘いを受け、最終的にノートルダム大学に進学。1997年にはBECの最優秀選手に選出されるなど、同大学の主力選手として活躍。最終学年の4年生までプレーし、1998年のNBAドラフトでは、19位でミルウォーキー・バックスから指名されるも、同じくバックスが9位で指名したダーク・ノヴィツキーの権利を軸としたダラス・マーベリックスとフェニックス・サンズを交えた大型三角トレードで、ギャリティの権利はサンズに移動した。因みに、このトレードの内訳は、ノヴィツキーの権利がバックスからマーベリックスに、マーベリックスが6位で指名したロバート・トレイラーの権利がバックスに移動し、スティーブ・ナッシュがサンズからマーベリックスに移籍するという内容だった。

入団したサンズではベンチプレーヤーとしてプレーオフ出場に貢献するも、1999年オフにアンファニー・ハーダウェイのサイン・アンド・トレードの一環としてオーランド・マジックに移籍。マジック加入1年目の1999-2000シーズンは、大半がベンチスタートながら全82試合にフル出場し、ハーダウェイ放出後のマジックを支える。2000年夏はトレイシー・マグレディやグラント・ヒルが加入し、マジックに大きな期待が膨らむも、ヒルが足首の負傷でシーズンの大半を欠場する事態に陥ったこともあり、ギャリティにチャンスが廻り、2001-02、2002-03シーズンは先発出場が増え、平均得点も10点以上を記録した。

ところが2003-04シーズンは、右膝の不調で結局は「マイクロフラクチャー手術」(Microfracture surgery) を受けた為にシーズンほぼ全休。以降は精彩を欠き、2007-08シーズンまでプレーしたものの、2008年9月11日に引退を表明した。

2016年6月16日、デトロイト・ピストンズのアシスタントGMに就任したことが発表された。

脚注

外部リンク

  • NBA.com
  • Basketball-Reference.com

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