この項目ではア式蹴球全國優勝競技會(あしきしゅうきゅうぜんこくゆうしょうきょうぎかい)として1921年(大正10年)11月26日と27日に日比谷公園グラウンドで開催された大会 について記載する。なお、本大会は天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会の第1回大会に当たる。
概要
東京、名古屋、大阪、広島の4地区に分け、各地区の代表1チームが全国大会に出場した。地方予選は東京に20、名古屋に3チームが参加して行われた。全国大会に出場した4チームのうち、山口高校が東上を見合わせ 棄権したため、準決勝1試合と決勝の2試合が行われた。
東京蹴球団は当時の日本代表チームとして極東オリンピック大会にも出場した精鋭チーム、名古屋蹴球団は名古屋の学校(明倫中学校、愛知第一師範学校など)のOB選手を中心として構成、御影蹴球団は中等学校である御影師範学校の1校単一チームであった。
大会終了後、イングランドのフットボール・アソシエーション(FA)から寄贈された「FAカップ」と呼ばれる銀製のカップが第9代駐日英国大使のチャールズ・エリオットから優勝した東京蹴球団主将の山田午郎に授受された。
出場チーム
- 東京蹴球団(東京)
- 名古屋蹴球団(名古屋)
- 御影蹴球団(大阪)
- 山口高校(広島、本大会は棄権)
結果
主な出場選手
- 山田午郎(東京蹴球団)
出典
関連項目
- 日本のサッカー



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