ルートヴィヒ5世(Ludwig V., 1577年9月24日 - 1626年7月27日)は、ヘッセン=ダルムシュタット方伯(在位:1596年 - 1626年)。ゲオルク1世と妃マグダレーナ・ツア・リッペの子。信義伯(der Getreue)と呼ばれた。

生涯

1604年に伯父のヘッセン=マールブルク方伯ルートヴィヒ4世が子の無いまま死去、遺言でヘッセン=カッセルとヘッセン=ダルムシュタットに分割相続することになっていた。ところが、従兄のヘッセン=カッセル方伯モーリッツが遺領を全部横取りし、宗教をカルヴァン派に改宗したため、遺領相続戦争が発生した。三十年戦争にもこの対立は引き継がれ、モーリッツはプロテスタント側に就いたのに対し、ルートヴィヒ5世はカトリックの神聖ローマ皇帝に味方した。ルートヴィヒ5世は1607年にギーセン大学を設立したが、これもヘッセン=カッセル側のマールブルク大学に対抗するためであった。

1626年に死去、息子のゲオルク2世が後を継いだ。1722年、ギーセン大学の天文学者ヨハン・ゲオルク・リープクネヒトは恒星を発見、この星をルートヴィヒ5世にちなんでルートヴィッヒの星と名づけた。

子女

1598年にブランデンブルク選帝侯ヨハン・ゲオルクの娘マグダレーナと結婚、11人の子を儲けた。

  • エリーザベト・マグダレーナ(1600年 - 1624年) - 1617年、ヴュルテンベルク=メンペルガルト公ルートヴィヒ・フリードリヒと結婚
  • アンナ・エレオノーレ(1601年 - 1659年) - 1617年、ブラウンシュヴァイク=カレンベルク公ゲオルクと結婚
  • マリー(1602年 - 1610年)
  • ゾフィー・アグネス(1604年 - 1664年) - 1624年、プファルツ=ヒルポルトシュタイン公ヨハン・フリードリヒと結婚
  • ゲオルク2世(1605年 - 1661年) - ヘッセン=ダルムシュタット方伯
  • ユリアーネ(1606年 - 1659年) - 1631年、オストフリースラント伯ウルリヒ2世と結婚
  • アマーリエ(1607年 - 1627年)
  • ヨハン(1609年 - 1651年) - ヘッセン=ブラウバッハ方伯
  • ハインリヒ(1612年 - 1629年)
  • ヘートヴィヒ(1613年 - 1614年)
  • ルートヴィヒ(1614年)
  • フリードリヒ(1616年 - 1682年) - ブレスラウ司教、枢機卿

脚注


『★ドイツ旅行?ルートヴィヒ2世の3つの城★』ロマンチック街道周辺(ドイツ)の旅行記・ブログ by おもちさん【フォートラベル】

『年末恒例旅行 バタバタのドイツ ロマンティック街道 3日目【フュッセン→ルードヴィヒスハーフェン編】』フュッセン(ドイツ)の旅行記・ブログ

『ドイツ歴史学者の天皇国家観』(ルートヴィッヒ・リース,原 潔,永岡 敦):講談社学術文庫|講談社BOOK倶楽部

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ルートヴィヒ2世 (Ludwig II., 1845年8月25日 1886年6月13日) 第4代バイエルン国王(在位:1864年