フランコ・ペッリツォッティ(Franco Pellizotti、1978年1月15日- )は、イタリア・ラティザーナ出身の元自転車競技選手。

来歴

2006年のジロでは第10ステージで勝利。

2007年のジロでは第1ステージで行われたチームタイムトライアルにおける、リクイガスの勝利に貢献した。

2008年のジロでは、

  • 山岳タイムトライアルとなった第16ステージにおいて、同年のジロで山岳賞を獲得したエマヌエーレ・セッラらを下して勝利。
  • また第2~第5ステージまでマリア・ローザ(総合首位)を堅持。その後一旦順位を落としたものの、後半に組まれた山岳レースでの健闘もあり、総合4位に入った。

2009年

  • ジロでは山岳コースにおいて健闘を見せ、特に、延々標高約1600m分を上るという、過酷な第17ステージを制覇した他、総合3位に入る健闘を見せた。
  • ツールでは総合こそ37位にとどまったものの、カテゴリー超級である第9ステージのツールマレー峠、第16ステージのグラン・サン・ベルナール峠において首位通過し、また中盤ステージ以降は山岳賞狙いに照準を定め、山岳ポイントをコンスタントに稼ぐ策に出たことも功を奏し、マイヨ・ブラン・ア・ポワ・ルージュを獲得した。
  • しかし2009年のこれらの成績は、ドーピング疑惑によりすべて取り消されることになる。

2010年

  • 5月3日、バイオロジカル・パスポートによりドーピングの疑いが発覚。ジロの出場メンバーにも選ばれていたが急遽取り消される事態となった。
  • 10月21日、イタリア国立アンチドーピング裁判所(Italian national anti-doping court、略称:TNA)は、「血液ドーピングに関与したという十分な証拠が得られない。」と結論付け、ペッリツォッティの嫌疑を晴らす裁定を下した。ペッリツォッティはこの裁定に基づき、国際自転車競技連合(UCI)に金銭的補償を求める意向も示している。これに対しUCI会長、パット・マッケイドは同月28日、TNAの裁定に不服の意を示し、スポーツ仲裁裁判所(CAS)への上訴も視野に入れていると、記者会見で表明した。

2011年

  • 3月8日、スポーツ仲裁裁判所は、UCIのバイオロジカルパスポートを支持し、ペッリツォッティに2年間の出場停止処分および2009年シーズンの全成績の取り消し処分を下した。出場停止期間は2012年5月まで。

2012年

  • 4月30日、アンドローニ・ジョカットーリと契約を結んだ。
  • イタリア選手権 個人ロードレース優勝
  • ジロ・デッレミリア 3位

2013年

  • ジロ・デ・イタリア 総合11位

2017年

  • UCIワールドツアーチームであるバーレーン・メリダに移籍。ジロ・デ・イタリアではエースのヴィンチェンツォ・ニバリをアシストし、ニバリの区間1勝と総合3位獲得に貢献。

2018年

  • 年末をもって引退。

引退後は最後に所属したバーレーン・メリダでアシスタント・スポーツディレクターを務めている。

ジロ・デ・イタリア戦績

  • 2002 : 16位
  • 2003 : 9位
  • 2004 : 11位
  • 2006 : 8位、第10ST優勝
  • 2007 : 9位、チームTT優勝
  • 2008 : 4位、第16ST優勝、 マリア・ローザ4日間保持
  • 2009 : 3位、第17ST優勝も、ドーピング違反により抹消

脚注

外部リンク

  • フランコ・ペッリツォッティ - サイクリングアーカイヴス(英語)
  • フランコ・ペッリツォッティのプロフィール - ProCyclingStats

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