高田城(こうだじょう)は、愛知県一宮市浅井町河田字神明社にあった戦国時代の日本の城。現在は「河田城(こうだじょう)」と表記される事が一般的である。

概要

1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いの際、羽柴秀吉が織田・徳川連合軍と戦う為に構えた城である。戦いの後も秀吉側の城として存続したという。廃城時期は不明。

城跡は残っていたが、1963年(昭和38年)の木曽川の改修工事の為、その形跡は無くなってしまった。すこしはずれた場所に石碑がある。

地名の河田は「こうだ」と読み、元々は尾張国河田村であるが、安土桃山時代の1585年(天正13年)におきた木曽川の洪水により村が川で分断。豊臣秀吉により、新たな川を尾張国と美濃国の境としたため、二つの村になった。分断後も尾張国、美濃国のどちらも河田村を名乗った。高田城は尾張国側になる。

尾張国側は、葉栗郡河田村となり、葉栗郡浅井町に合併後、一宮市浅井町河田となり、現在に至る。

美濃国側は、羽栗郡河田村となり、羽栗郡川島村に合併後、羽島郡川島村を経て羽島郡川島町になる。現在は各務原市川島河田町となっている。

脚注

関連項目

  • 日本の城一覧
  • 河田渡船

尾張 大高城の写真集城郭放浪記

高田城

高田城 Travel Japan 日本觀光局(官方網站)

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